■ 稲垣足穂 『タルホ入門 カレードスコープ』 潮出版社 1987年1月新装版刊
元本は74年『カレードスコープ 多留保集3』(同社)。
Ⅰ
藤の実の話――退屈で困っている二人の青年の間に交された一片
云いたい事一つ二つ――自作を回顧して鸚鵡の一件――最近の佐藤春夫氏
云わしてもらいます
タルホ入門――初学者諸君のために
機械学者としてのポオ及び現世紀に於ける文学の可能性に就いて
無限なるわが文学の道
……
Ⅱ
『弥勒』――わが小説
僕のオードーヴル『死後の生活』――名著発掘
銀河鉄道頌
黄薔薇――ランボウ抄
サド侯爵の功績
南方学の密教的な貌――南方熊楠
……
解説 巖谷國士
装画 まりの・るうにい 装幀 戸田ツトム
西脇順三郎先生によると、詩というものの秘密は、互いにかけ離れたもの、正反対のもの、意想外なもの同士の連結である。これによってわれわれの功利的日常性が一時的に破壊され、われわれは解放されるわけである。
こういうことを一応あたまにおいて新しい詩に接しられると、多少は見当がつくかと思う。この思いもかけぬもの同士をつなぐのが芸術の役目なのである。ボードレールの詩句に「スミレはパンであった」というのがある。それから有名な例に、イジドル・デュカスこと、ロートレアモンの「解剖台上におけるコーモリ傘とミシン(裁縫機械)の出会いほど美しいものがあろうか」がある。(略)私において考えられないものの連結は、人間と天体である。だから私の処女作「一千一秒物語」の中では、お月さんとビールを飲み、星の会合に列席し、また星にハーモニカを盗まれたり、ホウキ星とつかみ合いを演じたりするのである。この物語を書いたのが十九歳の時で、以来五十年、わたしが折にふれてつづってきたのは、すべてこの「一千一秒物語」の解説に他ならない。
「ある日、世界のはてから一千一秒物語が届いた。ずっと以前どこかで読んだ本、またずっと未来にどこかで出くわすような本」このように一千一秒物語を評した女性がいる。だから私の仕事は末長く続くのでなければならない。たぶん今から五十年後、二百年後、五百年後にも、自分はどこかでいまと似たことをやっているものに相違ない。……
(平野)
NR出版会HP連載「書店員の仕事 特別編 震災から三年を迎えて」第2回南相馬市おおうち書店大内さん「天職としての本屋(上)」
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