2024年3月28日木曜日

菅田正昭離島論集

 3.24 春の雨、洗濯物が乾かない。

「朝日歌壇」より。

〈生徒らはヘルマン・ヘッセを知らぬなり国語教師は戸惑い示す (東京都)尾張英治〉

3.26 小型ゴジラ姉妹神戸来襲。とたんに雨あがる。妹は話したいことがいっぱいある。姉はしたいことがいっぱい。

 妹語 (1)もう着いているのに「こうべいっていい?」。遠慮しているのか?

2家族写真見て、「いまのじいじがいる」。意味不明だったが、ママの解説で納得。昨日まで一緒にいたパパ方のじいじではなく、いま会っているじいじ(私)が写真に写っている、という意味。一生懸命ことばで伝えようとしている。まだ2歳半だからゆっくりでいいのだけれど、おしゃべりお姉さんがそばにいるからしかたない。チャンリンチャンリン。

 『菅田正昭離島論集 〈共同体論〉』 みずのわ出版 

5000円+税



 1945年東京都生まれ、197173年東京都青ヶ島村役場職員、199093年同村助役。民俗学、宗教研究者。季刊「しま」(日本離島センター)発表した離島論。語源、音韻から私たちにとって「シマ」とは何かを考え、言葉の奥にある「シマ」の霊性をとらえ直す。離島生活体験者による実践的思索。

 海=ウミの語源は「オホ(大)ミ(水)」。近江は都から見て近い「近つ淡海(オホミ)」=琵琶湖、遠江は「遠つ淡海」=浜名湖。古代人の間隔では湖も「ウミ」。「海」は「アマ」、天と海両方の意味を持っていた。「ア」は感動の語、「マ」は「間」。

〈南北に長く連なる弧状列島に住む古代人は、天と海との芒爆たる境目を眺めていたにちがいない。そして、そこに神々の原郷としての、常世(とこよ)やニライカナイを想像してきたわけである。(略、天と海は曖昧模糊、空間としては渾然一体)……海(アマ)は天(アマ)の一部であり、シマ(島)はこの〈アマ〉の霊性に包まれた聖空間だったということができる。というよりも、上古(しょうこ)=神代の昔には、〈アマ〉はあっても〈海〉はなかった、といっても過言ではないのである。〉

 島=シマの語源。「シ」は、「シジム(縮む)」=縮んだ状態、「シク(及く・敷く)」=神々の威光が万遍なく行き渡った状態、の両義。「マ」は「間」=土地などの間隔の意。折口信夫は、「シマ」とは「わがカミガミの神威が及ぶ範囲の土地」、と考える。

和歌山の漁民は岩のことを「シマ」と呼ぶ。海中の岩・岩礁をアイヌ語では「スマ」。神戸の「須磨」もここに行き着くらしい。菅田は、スマ=シマからいわゆる〈島〉の義が生じてきたのではないか、磯(イソ)もかなり近い関係であり、伊勢(イセ)は「イソ」から派生した、と考える。

(平野)