2024年3月31日日曜日

さようなら大江健三郎こんにちは

3.28 おまささんと神戸文学館デート(?)、実際は介護付き添い。文学館所蔵の「詩人さん」写真を見せていただく。帰りにワールドエンズガーデン、訪問5年ぶりくらい。書店人の情報いろいろ教えてもらう。

3.29 孫妹はパパに教えられた歌を歌う。「のんで~のんで~のまれてのんで~」。姉もそうだった。難しいことも言う。「うそはいけないんだよ~、うそつきはドボローのはじまりだよ~」。姉も小さい時「あわてんぼうのサンタクロース」を「あばれんぼう」と歌っていた。

3.30 「朝日新聞」の〈ひと〉欄。「障害のある娘を36年間撮り続ける島旅写真家 河田真智子(かわだ まちこ)さん」。昨年11月、写文集『医療への信頼』出版。版元はみずのわ出版。

医療への信頼 Trust in Medical Care | みずのわ出版 (mizunowa.com)

 


 同じく「朝日新聞 be on Saturday」〈はじまりを歩く〉は「出版 京都から江戸へ」。京都の法蔵館を紹介。

 


 孫姉の珍語。よその人の前では静かにしているから、ママに「ネコかぶってる」と言われる。ママの友だちと会うことになって、「ネコかぶってないとダメ~?」と訊ねる。どうも、おとなしくしていることと思っている。


 司修 『さようなら大江健三郎こんにちは』 鳥影社 2200円+税



 司は画家、作家。1936年前橋市生まれ、映画看板の仕事をしながら独学で絵を学ぶ。大江健三郎作品他、本の装幀も数多く手がける。本書は大江とのエピソードを綴る。

1968年、中央公論社『日本の文学76』で石原慎太郎、開高健、大江作品に挿絵を描いた。70年、司は大江の改装版『叫び声』(講談社)の装幀をする。そのあと、司はまだ会ったことのない大江に写真集の序文を依頼する。大江とホテルの喫茶室で面談。

〈「つかささんですか、大江です。私は、あなたに会って、断ろうと思いました」と、忙しそうにわずかな吃音でいったのです。私はわざわざ会って断ってもらったことに感謝しました。「ありがとうございました」、私が帰ろうとすると〈さん〉が、「お茶でも飲みませんか」といったのです。私はおずおずと椅子に座りました。〉

 大江が写真を見てくれた。新潟県柏崎十王堂、木食上人の微笑仏。司は撮影のこと、お堂の地獄絵のこと、地獄絵に関して上田秋成のことなど話す。

〈突然、〈さん〉がいいました。「書きましょう。何枚ですか、二十枚ですか、三十枚ですか」/私は原稿料のことも考えて「一枚でけっこうです」といいました。/〈さん〉は、「これから、前のホテルで、芥川賞の授賞式があるので」といって立ち上がりました。〉

 10日後、大江の序文「創作者通信」が届く。写真集は『影像戯曲 証人』(こぐま社)。

 大江との仕事が続き、やがて家族ぐるみの交流になる。その一端を大江が谷川俊太郎との対談で語っている。

……司さんが、お酒を飲んで、僕を徹底的に批判するということが、あの人と僕の関係の根本スタイルです。(中略、小説に英語の詩を最初から導入することについて)読者を、司という読者を拒否している。なんて嫌な小説家だろう、と彼が僕を批判しました。僕はその時困ったし、いまも考えているんです。〉(「新潮」1995年新年号《詩と散文の生まれるところ》)

 司は、「拒否」といったが「嫌な小説家」とはいっていない、と明言。大江の発言はジョーク。自分を酔わせてからかい、反発を楽しんでいた、と。

 2013年、『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』の見本ができて、大江から食事に招かれた。

〈皆さんとお別れする時、大江さんから「もう、会うことはないでしょうから」と握手を求められ、私は汗ばんだ手で、大江健三郎さんの手を握ったのでした。〉

(平野)写真は手近にある司装幀の大江本。